パンチングマシンやレーザー加工機などのNC加工機を駆使して、半導体関連部品や自動車関連部品などの板金加工を行う(株)フクムラ。前社長の急逝で急遽就任した女性社長が、営業範囲の拡大や区内企業との交流、自社製品づくりなど独自の展開で奮闘しています。鈴木社長にお話を伺いました。 (※本インタビューは2019年9月に実施しました。同社では2020年3月末で福村京介専務が新社長に就任しました)

 ー 御社は「金属板金加工業」ということですが、具体的な業務内容は?

簡単に言うと、金属の板を切って、折り紙のように曲げていろいろな形の物を作る仕事です。弊社は、大手光学・事務機器メーカーでプレス技術者だった父が独立して1959年に創業した会社です。当初はプレス加工が中心で、近所のパートさんをたくさん集めてやっていました。高度成長期なので仕事はたくさんあり、忙しかったんです。私も手伝いでケトバシなんかをやらされました。板金プレス加工を手掛け始めたのは40年ほど前からになります。

 ー 板金といっても分野によりいろいろなものがあると思いますが、御社はどんなものを多くやっているんですか?

第25回優秀板金製品技能フェア(職業訓練法人アマダスクール主催)で技能奨励賞(造形品の部)を受賞した折り鶴とオフィス用機器の部品

以前は半導体関連が多かったのですが、今はヒートシンクやカバー、シャーシなど弱電機器関連の依頼が多いですね。でも、よく「〜系の仕事が多い」と言ったりしますが、ある特定の分野に依存するとその業種が不景気になった時のダメージが大きい。ですから、ある時から「うちの機械でできるものはなんでもやる」というスタンスで、顧客の分野を広げていくことにしました。そのおかげで医療・建築・楽器・家具など幅広い分野から受注をいただいています。

 ー 2017年に社長に就任されたそうですが、多様な顧客を確保していくという方針は社長が打ち出したものですか?

そうです。以前多くやっていた半導体や楽器関係、車関係の仕事が少なくなってきていたため、顧客の業種の多角化を図り、新規顧客を多く確保できる体制にする必要がありました。そこで製造業受発注プラットフォーム2社に登録し、分野を限らずできる仕事をやっていくことにしました。合わせて、新規のレーザー加工機を導入したので、より板厚の厚いものも加工できるようになりました。これにより、とくに建築関係の仕事が多く入るようになったんです。改修工事などでは、図面がなく現場で寸法を測り、電話口で注文し「すぐに収めて欲しい」といった類の仕事が多い。弊社は、こうした図面なしやラフ図面で即納を要求される仕事には強く、おかげさまで継続的に仕事がいただけるようになりました。
また、前社長はいやがっていた、個人のお客様からの仕事も受けるようにしました。つい最近、あるレストランのオーナーシェフから、自身で考案した調理器具の試作の依頼が来ました。もともと足立区にいた方で、近場で対応できるところはないかと探して来られた。試作品を製作し収めたのですが、うまくいけばいくつかの新たな注文をいただけるものと期待しているところです。
このような形で多様なお仕事を受けることにしたため、おかげさまで新規のお客様はずいぶん増えてきました。

電気系機器の筐体

 ー 前社長の急逝を受け急遽社長に就任されたということで、就任当時はいろいろと大変だったのではないでしょうか

社長というのは意思決定すべきことも多く、なかなか大変な仕事です。自分ひとりで悩んでいてもだめだと考えたので、まず課題や悩みを社内で共有し、社員からも意見が言えるような環境づくりを行いました。
また、前社長が急逝し技術者でない私が新社長に就任したことで、既存のお客様には「これまで同様の加工クオリティが保てるのか」という不安があったようです。弊社としては、技術力は維持されるということを示さなければならない。私の息子である福村京介の存在がこの窮状を救ってくれました。
息子は、東京都立航空高専で機械工学を学んだ後、大手食品メーカーを経て弊社に入社しましたが、前社長と折り合いがつかず、同社を退職し金属加工会社に入社、技術者として活躍していました。私が社長就任後、会社が休みの日にうちに来て、機械に金型をセットしたり、技術的なサポートをしてくれたりしました。幸い弊社には息子の幼馴染が入社しており、前社長急逝の折、「現場が回らないので帰ってきてほしい」と息子に懇願し、息子はこれに応じて専務として再入社することになったのです。母親としては、うちのような将来見通しの立たない会社ではなく、安定した会社にいてもらいたいという気持ちも正直ありました。しかし、息子の入社により顧客や銀行の信用も回復し、会社として新たな方向性を打ち出すことができたのです。息子が入社してくれたから会社を存続できた。本当に感謝しています。

レーザー加工機。金属板などをレーザーで切断したり、彫刻などの加工も行える。同社はこの機械の導入により、以前より厚い材料の加工が可能となり、受注可能な範囲が広がったという

 ー 社長は企業間交流にも積極的に取り組んでいるようですね

前社長は職人だったので、ものづくり以外のことにはあまり積極的ではありませんでした。営業を広げていかないといずれ会社は立ちいかなくなることがわかっていましたが、営業の仕方がわからない。そんな時にあだち異業種フォーラム開催案内のチラシを手にし、参加してみようと思ったのです。異業種フォーラムでいろいろな方と知り合うことができ、「あだち異業種交流会未来クラブ」への加入を勧められ、未来クラブの仲間から足立ブランドへの応募を勧められたのです。自社ではできないことを相談したり、展示会などPRの場があるというのは経営上大きなメリットがあるうえ、事業経営のモチベーションも上がります。

パンチングマシン。NC制御で複数の金型を入れ替えながら打ち抜き加工を行う

 ー 製品開発も熱心に行っているそうですね

現在、半導体関連の仕事が売り上げの何割かを占めていますが、業界の状況が少しでも悪くなると売り上げが極端に落ちてしまいます。経営を安定させるためには、BtoBの仕事の手が空いている時にBtoCの物を作れるのが理想です。ずっと以前から、下請けをやっている町工場は、いずれBtoCで自分で金額を付けられるものを作っていかなければ将来はないと思っていました。そこで、足立区で開催している「新製品開発講座」に参加し、いろいろなアドバイスを受けながら生活雑貨の開発を始めました。先代はこういうことを嫌っていましたが、私はどうしてもやりたかったので個人事業所を起ち上げました。社長に就任以後は、個人事業所はやめ、弊社の業務としてやっています。当初社内で新製品開発会議を開催し、アイデアを出し合ったりしていました。現在は、みんな手が空かなくなったので、新製品開発講座の卒業生たちが集まる「ものづくりゼミナール」でアイデアに対する意見を聞いたり、うちの技術ではできない方法があることを学んだりしています。こうした場があることは新製品開発の大きな励みになりますね。
毎年、TASKものづくり大賞を目指して開発し、応募してきました。過去4回奨励賞、うち1回は優秀賞を受賞しています。今年も応募を目指して開発中です。

ベンダーによる曲げ加工

 ー 今後についてお聞かせください

 

うちの強みは、図面のない、即応性を要求される仕事でも請けられる点、企業だけでなく個人様の仕事でも積極的に請けられるという点でしょうか。展示会などの参加を通じて、うちの強みをよりPRし、受注を増やしていければと考えています。あとは、BtoCの方でも売り上げの何割かを占めるような物を開発できればいいなと考えています。息子への円滑な引き継ぎが図れるよう、当面経営をより安定化させることに力を入れていきます。それから、ものづくりのまち足立の中で、「足立の顔」となれるよう、地域貢献イベントや交流会にも積極的に参加していきたいですね。

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(株)フクムラ 代表取締役  鈴木正江 氏

(写真左は子息の福村京介専務。2020年3月に社長に就任) 短大卒業後、金地金会社に事務員として入社。2年の勤務を経て結婚。大田区で雀荘を経営していたが、1991年に息子が小学校に上がるのを機に、父が創業し弟が社長を務める同社に入社。経理兼営業担当、時には現場で簡単な作業を補助するなど同社の重要な戦力となっていった。2017年、弟の急逝により社長に就任。当初、顧客への説明や銀行への対応に奔走した。社長が技術者でないことから、会社の行く末を危ぶむ声も聞かれたが、当時他社にいた子息京介氏の技術的サポートなども得て、顧客や金融機関の信用が回復。以後、社内で自由に意見を言い合える社内環境づくりや顧客の業種や分野を広げる営業方針、新たな人材確保などこれまでにない独自の展開を図ってきた。

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