バルーン技術を応用した巨大オブジェや、コンサート・イベント、主要なテーマパークの舞台装置を数多く手がける(株)エアロテック。同社のバルーンは、某有名大型テーマパークや有名アーティストのコンサート、国際的なスポーツイベントなど、国内外で多用されています。大曽根社長にお話を伺いました。

 ー 御社業務はバルーンの製造だけにはとどまらないと聞きました

(株)エアロテック 大曽根 康弘 代表

企画からバルーンの製造、設営、オペレーション、撤去までを請け負っています。今はバルーン技術を応用した舞台演出のニーズも増えています。とくにある有名大型テーマパークさんとは、弊社設立以前から現在までお付き合いさせていただいております。

 ー 御社のホームページではさまざまなバルーン技術が紹介されています。代表的な「エアロバルーン」は御社の特許だそうですが、どういったものですか?

エアロバルーンの図解

だいぶ以前の話ですが、1993年のJリーグアウォーズで三浦知良(かずよし)選手がバルーンの中から出てくる演出が話題を呼びました。あの時、カズ選手のバルーンへの誘導など、全体のオペレーションを行ったのは私なんです。ただ、当時は巨大ゴム風船しかなく、使い回しができませんでした。何度も使い回せる素材はないものかと試行錯誤し、薄い布生地を縫製する方式にたどり着きました。ファスナーで閉められる構造にし、トップの部分のファスナーの目を飛ばしマジックテープで押さえておく。送風機で膨らませてマジックテープをはがすと、内圧により一瞬でバルーンが割れるという仕掛けにしました。これが「エアロバルーン」です。

バルーンが一瞬で割れ人や物が現れる演出。以前は巨大なゴム風船にエアーを封入する方式だった。同社開発の「エアロバルーン」は、再利用可能なうえ、送風し続けるため、多少穴等ができても形を維持できる画期的技術である

 ー 御社設立の経緯とバルーン技術の進化について教えてください

大学卒業後、足立区内の販促イベント会社で最初はアルバイトとして、後に正社員として13年間各種のイベントに携わりました。イベントでバルーンを扱うことも多くあり、その将来性に気づき、後に独立したんです。
1990年代まで、日本ではバルーンに塩ビなどの素材を使っていましたが、色や形状の制限があるため、あまりリアルな表現ができなかった。一方米国では、布を縫製したものに送風機でエアーを入れっぱなしにし、内圧で形状を保つという方式でした。最初に米国のバルーンを日本に入れたのは、ある有名大型テーマパークさんだったんですが、初めてなので、やる人がいない。そこで「僕にやらせてください」ということになって、朝早くからひとりで設営し撤収までというのを50日間やった。米国のバルーンについて、さまざまなことをそこで学び経験を積んだことが今につながっています。

映画「スパイダーマン2」日本公開プロモーション用に製作されたバルーン。当時、大きさとリアルな表現が広く話題を呼んだ
布を縫製した後、塗装する。「溶着」や「印刷」でやるよりも手間がかかるように思えるが、形にした後でも微調整がしやすいメリットが大きいという
「エアデッキ」(同社HPより)。観客スペースに設置されたカーペット(バルーン)が突然膨らみ出し、数十秒で花道が出現するという驚きの技術

 ー ホームページで拝見したところ、「エアデッキ」はすごい技術ですね。それに、巨大バルーンを利用した「ステージ演出バルーン」なども素人には信じられません

たとえば、東京ドームはエアーで天井が膨らんでいるため、天井から物を吊るすことはできない。そこで、直径25mのドーナツバルーンをドームの天井近くまで浮かせ、バルーンの下にトラス(三角形を基本単位にして組んだ構造物)を取り付けます。これを約2tの重量物を吊れるコンサートのステージ機構として、照明や幕などを設置するんです。

「ステージ演出バルーン」。巨大バルーンを浮かせるだけでなくそこから重量物を吊るす。観客を楽しませる壮大な仕掛けだが、安全性への配慮は欠かせない

 ー バルーンで2tもの荷重を吊り上げることができるなんて驚きです。こんなにすごい仕掛けができるのは、御社だけなのでしょうか?

バルーンを使ったドームクラスの大規模コンサートの分野では競合会社がほとんどないので、弊社が携わることが比較的多いですね。演出家やデザイナーさんは常に新しいものを求めているので、無理難題もあります。でも「できない」ではなく、「こんな形に変えれば近いものができますよ」と提案できる点がうちの強みです。どんな仕事でもそうですが、お客様から言われた100%の仕事だけやっていては飽きられる。120%の仕事をやるとお客様は離れないものです。
演出の内容はもちろん重要ですが、最も重要なのは安全性の確保です。たとえば、大きなコンサートで客席の上にバルーンを浮かせる場合、歓声で温度が上がり、バルーンが膨張して破裂する危険がある。そこで、ある一定の温度になったら圧を逃がすとか、万一破裂しても落ちてこないような構造にしておく必要があるんです。こうした安全性に対する配慮も業者選定のポイントとなっているものと思います。幸いこれまで大きなトラブルはありませんが、非常に高額の保険には入っています。

 ー ところで本社ビルの1階にバルーンショップを構えていますが?

22年前に開設しました。日本のバルーン業界も今や大きく発展してきましたが、その途上で発展の一端を担う者として、日本のバルーン業界をPRしたいという想いでショップを作りました。誰からも「足立区なんかでは無理だよ」と言われましたが、開店してみると、周辺にお住まいの子連れや外国人のお客様が意外と多く来店されたんです。今でも比較的遠くからのお客様もいらっしゃいます。

世界中のさまざまな楽しいバルーンが買える「バルーンショップ ウィンディ」(足立区竹の塚3-3-15、営業時間:11:00〜19:00)。

 ー 御社もバルーン業界も順調に発展してきたようですね。今後についてはどうお考えですか?

20代のころからバルーンに携わり、昨年還暦を迎えました。仕事をたくさんいただくため、また会社を守るためにがむしゃらにやってきましたが、これからは、区内にたくさん存在する優秀な企業さんとコラボで、何かものを作るのも面白いかなと思っています。足立ブランドに応募した理由のひとつでもあります。
足立区は、都心などよりも地代や賃料が安いばかりでなく、広い場所が必要となる際に借りられる公共施設も多く、とても仕事のやりやすい場所と感じています。アルバイト時代から区内で仕事を続けてきたので愛着もあります。ショップをご存知の方は「いろんなバルーンを売っているお店」としてしか認識していないかもしれませんが、区内に日本全国や海外で活躍する会社があるということを区民のみなさんにもっと知ってもらえればいいですね。
また、今後もこの地で長く仕事を続けていく社員たちのためにも、ちゃんとした会社であり続けたいと思っています。

(株)エアロテック 代表取締役 大曽根康弘 氏
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(株)エアロテック 代表取締役 大曽根康弘

1958年、江戸川区小岩生まれ。大学入学前からサーフィンに親しみ、日本体育大学入学後は、サーフィン部の創部尽力。卒業後は足立区内の販促イベント会社でアルバイト、後に正社員として13年間各種イベントに携わる。1995年に(有)エアロテックを設立、2000年に株式会社に組織変更。 なお、同社のエアロテックオーシャン事業部では、ビーチイベントやサーフィンなどの競技会で使用される大型エアテントやエアロゲート、エアロブイ、SUP(スタンドアップパドルボード)の製造・販売等も行っている。 また、その一環として、SUPの国際大会「The Japan Cup」のオフィシャルスポンサーを務め、さらにサーフィンやSUPレースなどオーシャンスポーツ分野で活躍する選手に対するサポート活動も行っている。

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