足立ブランド

認定企業インタビュー

岩城工業(株)

様々な生活場面に対応できかつ軽量な製品を生み出す金属線材加工。その最前線におられる岩城工業岩城社長にお話をお伺いしました。

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▶会社の創業から現在までの沿革についてお伺いします。
岩城工業(株)インタビューの様子1

岩城工業株式会社 社長 岩城和裕 氏

この会社は私の父が昭和39年に創業しました。前回の東京オリンピック開催の年で、日本の景気は最高潮の時でした。当初は、輸出用釣竿の部品加工やライターのプレス加工を生業としていました。その後紆余曲折を経て、線材加工に特化した現在の業務形態となり、今日に至っています。

▶色々なご苦労がおありになったとか…
岩城工業(株)インタビューの様子2

ワイヤーベンディング/専用型を製作しなくとも曲げ加工可能

私が入社した昭和51年当時、第一次オイルショック(昭和48年)とその後の不況のため、本当に先行きが見えない状況でした。それまで営業の経験がなかったのですが、お得意先の釣り具業界に必死で営業に回りました。しかし、結果として「釣具だけでは先がない」ことを痛感し、次のステージへの挑戦が始まりました。

▶次のステージとは?(線材加工専業の形態へ)

弊社の技術として、釣り竿部品のリング(ステンレス製)を丸めて溶接する線材加工のノウハウがあり自信もあったので、板モノはやめ、線材加工に特化する方向にシフトしていきました。弊社の線材加工の強みは、専用の金型を起こさなくても手持ちの型を工夫して組み合せる対応技術が比較的優れていたということでしょうか。この技術を磨くことで、他社との差別化を図っていく狙いで勝負していきました。

ワイヤーベンディングに金型を設置し加工を行う
岩城工業が保有する金型群

 

この結果、昭和60年頃には手持ち金型での受注売上が全体の半分を超え、それまでの顧客が少なくなる反面、新規顧客が増加していくといったいい成長リズムに乗ってきました。ところが…です。このような状況も長続きせず、バブル経済崩壊。そして2008年にはリーマンショックといった大きな荒波を受け、このままでは生き残りが難しい状況がはっきりと見えてきました。

 

▶荒波を乗り切るためにどのようなことをなさったのですか?

企業変革の第一は、インターネットの活用です。平成10年頃から自社のホームページ(クリックで外部サイトへジャンプ)を、研修会などに参加して自力で起ち上げ、新規開拓の試みを始めました。また、他社では面倒とされるような加工注文を積極的に受けるよう、方向転換しました。さらに、他工場とのつながりを強めて自社では対応できない加工注文も受けられる体制を整えていきました。また、新規顧客獲得のツールとして、ギフトショー・産業交流展等の展示会やマッチング交流会へ積極的に参加をしました。まあ、出来ることは何でもやってみることにしたのです。本当に追い詰められていましたから(注:社長は足立区の異業種交流組織・足立イコー会の会長として約20年間会長職として尽力)。

 

▶その成果はどうでしたか?

当初、それ程は期待していなかったホームページが、少しずつではありますが効果を発揮し始めました。それまでの得意先からの受注割合がどんどん減少して売上割合が1割に満たないようになる代わりに、インターネットからの注文が3割を超えるようになりました。また同業者では対応しにくい小ロットや加工難度の高い注文もかなりの割合を占めるようになり、先行きに希望がふくらんできたと言える状況にまで変わっていきました。

溶接加工風景

 

特に、インターネットからの注文増大の過程でリピーターの顧客が増えていき、これらリピーターの中にはデザイン力やブランディング力に優れたベンチャー企業も少なくなく、このことが弊社の部品加工技術を製品製造技術に高めていく結果につながっていきました。

 

▶デザイナーとの出会いから生まれた自社ブランド製品「IPPON-SEN」について教えてください。

とあるご縁から、デザイナー・MD(マーチャンダイザー)のお二人と出会いました。弊社はここから大きく変わっていったような気がします。通常のお客さんから製品製造を受注するのと、自社製品を売っていくのとでは全く発想の仕方を変えねばなりません。このお二人と共に半年以上かけて製品開発を行いました。そうしてデザイナーとのコラボで自社ブランド製品「IPPON-SEN」が完成しました。コロンブスの卵のような感覚でした。私だけでは10年たってもこのアイデアは出てこなかったと思う。この製品はディノス・セシールに取り上げられ、評判を呼びました。バイヤーの話では、ある週の売上げトップにランクされたと聞いて、これまでにない感動を覚えたことは忘れられません。お二人が「売り方」に関する知識も深かったことが大きいと思います。

自社商品 水切りドライヤーホルダー「IPPON-SEN(イッポンセン)」

 

▶今後の貴社の展望は?

この1、2年の弊社の変化で言えば、工場長と私で現場のオペレーションを行っていたところを、私自身が一括で管理し、現場との対話がスムーズにできるようにしました。トップは時代の流れを掴み、そこに向かっていかなければいけないなと思う。今、弊社に「イエスマン」はおりません。現場からいろいろ意見を出してもらい、改めるところは改めるようにしています。変革を行った結果、工場の風通しがすごく良くなってきています。その結果として賞与も出せるようになりました。

職人との意思疎通は欠かさない

 

最近は奥さんから「むずかしい顔をしている」と言われなくなりました。数年前までは思い悩んだような顔をしていたのでしょう。よく言われていました(笑)会社は社長が笑顔でなければいけないと思う。そして今後も、時代を見据えつつ、社内の仕組みを確立していけたらと思います。

 

■岩城工業株式会社 代表取締役 岩城和裕 氏
1950年生まれ。大学を卒業後、1976年に岩城工業(株)に入社。2001年に代表取締役に。1997年に足立区異業種交流会「イコー会」の会長に就任。謙虚でかつ持続力の高い統率力は定評がある。2017年に次世代にその席を譲る。

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2017年12月21日更新